青年海外協力隊とは
1965(昭和40)年12月、5名の青年が羽田空港からラオスに向けて出発しました。アジアやアフリカなどの開発途上国で、現地の人々と生活や活動を共にしながら、相互理解や交流を深め国造りに貢献する、青年海外協力隊の初代隊員たちです。事業初年度はラオスのほか、フィリピン、カンボジア、マレーシア、ケニアの5か国に40名の隊員が派遣されました。
青年海外協力隊は、日本政府の政府開発援助(ODA)の一環として、独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施するボランティア事業です。アジアやアフリカ、中南米などの開発途上国から寄せられる要請に基づき、それに見合った技術・知識・経験を「現地の人々のために役立てたい」と望む20歳から39歳の青年を協力隊員として2年間派遣します。映画の舞台となるフィリピンには、1966年2月、12名の初代隊員が派遣されました。これまでに派遣された隊員数累計は1,561名(※1)に上り、農林水産分野を中心に、フィリピンの人々の生活改善や地域の発展に貢献してきました。
事業開始から今年で50年を迎え、これまでに隊員が派遣された国は88か国、隊員総数も延べ40,428名(※2)に上ります。
※1 2015年1月31日時点の数/JICA青年海外協力隊事務局データによる
※2 2015年6月30日時点の数/JICA青年海外協力隊事務局データによる
■協力隊員になるには
隊員の募集は春・秋の年2回。二次にわたる選考を経て合格すると、長野県と福島県にある協力隊訓練所で、語学や派遣国での活動に必要な知識などを学ぶ、約70日間の派遣前訓練に参加します。
協力隊員の活動分野は、農林水産・土木・保健衛生・教育文化・スポーツなどの9分野、120以上の職種と、多岐にわたります。劇中、沢田樹の職種は「写真」、羽村和也は「村落開発普及員(※)」、野村志穂は「助産師」隊員として、フィリピンに派遣されます。
※現在は「コミュニティ開発」に変更。
■途上国での経験を地域に
帰国した隊員は、これから協力隊に参加する青年をサポートしたり、小中学校で途上国を紹介する異文化理解授業を行ったりして、途上国での経験を地域の国際化や異文化理解の促進に貢献しています。公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)は、協力隊経験を日本の地域社会の発展に役立てようと、青年海外協力隊事業支援のほか、自治体の国際化支援、東日本大震災の復興支援や、岩手県での地域活性化事業などを実施しています。